ボークール市と神埼市の交流~翼が繋ぐ友情の絆~
佐賀県神埼市企画課
1936年11月19日、フランス航空省によるパリ-東京間懸賞飛行に参加していた一機の飛行機が脊振山に墜落しました。パイロットはフランス共和国テリトワール・ド・ベルフォール県ボークール出身のアンドレ・ジャピー氏。フランス航空界のパイオニアと呼ばれ、これまでいくつもの飛行を成功させており、今回のレースでも新記録の樹立が有望視される一流のパイロットでした。
しかしながら、悪天候に阻まれ飛行機は墜落、ジャピー氏は瀕死の重傷を負いました。一時は死を覚悟したジャピー氏ですが、旧 脊振村(現 神埼市)住民による懸命な救助活動の結果、一命をとりとめることに成功しました。
その後日欧横断への再挑戦というジャピー氏の夢は第二次世界大戦に阻まれ実現しませんでしたが、日本人飛行家への支援など日仏両国の航空界の発展に多大な功績を残しました。
時は過ぎ、1996年脊振村において、ジャピー氏の救出60周年を記念した式典が実施され、友好姉妹都市提携の盟約が行われました。2006年の市町村合併に伴い、神埼市となったのちも友好姉妹都市提携は引き継がれ、現在も交流が続いています。
新型コロナウイルスの流行に伴い、一時直接の往来を伴う交流が中止されていましたが、2023年10月15日~20日の期間においてボークール市訪問団8名が神埼市を訪問され、実に5年ぶりの対面交流が実現しました。
この訪問においては、神埼市・佐賀県への表敬訪問を始め、ジャピー氏遭難地の訪問や、地元小・中学生との交流、神埼市友好姉妹都市実行委員会との意見交換会など、多種多様な体験・交流を楽しまれました。
神埼市表敬訪問時の集合写真
ジャピー氏救出地の訪問 |
友好姉妹都市交流実行委員会との意見交換会 |
特に地元小・中学生との交流においては、言葉が十分に通じない中で、身振り手振りを交えながら意思疎通が図られ、訪問団・児童及び生徒の双方にとって貴重な異文化交流の体験となりました。
脊振中学校での文化交流
また、訪問にあたり、現在民間主体で企画されている当時の飛行機を復元し、ジャピー氏が達成できなかった佐賀-東京間の飛行を実現させようとする「赤い翼:パリ-東京プロジェクト」についても言及があり、訪問団の代表であるフランシス・クルト副市長は地元テレビのインタビューに対して、「プロジェクトの成功が非常に楽しみ。ジャピー氏が墜落した地でそのことを感慨深く思う。」とのコメントを残されました。
わずか5日間の交流ではありましたが、友好姉妹都市交流の重要性を改めて相互確認することが出来ました。
およそ90年前に発生した事故に対して、人道的な対応を行った旧脊振村民の方々に敬意を表しつつ、現代での交流を途切れることなく継続することで、この一つの事故がつなげた「友情の絆」を未来に向けて語り継いでいきます。
送別会時写真
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