フランスの欧州財政条約批准に向けた動き
フランスでは、前サルコジ大統領が署名した「欧州財政条約(traité budgétaire européen)」の批准をめぐり議論が熱を帯びてきている。この条約はユーロ危機を背景に、ユーロ採用国の「収支均衡回復」に向けた一層の努力を義務付けようとするものであるが、政府与党を構成するEELV(欧州環境・緑の党)が批准に反対し、野党からは閣内不一致を厳しく追及されるなど政局の色合いも帯びている。10月初頭には国会での議論が始まるが、この機をとらえ、そのポイントを紹介しておきたい。なお、ルモンド紙(9月18日)に掲載された解説が簡にして要であるので、それを活用しつつ適宜肉づけをして、メモ書き的にまとめておくこととする。
■財政条約(le pacte budgétaire*)が俎上に上っている背景は?
*正式名称はTraité sur la stabilité, la coordination et la gouvernance au sein de l’Union économique et monétaire(TSCG、経済通貨同盟の枠組みにおける安定・調整・統制条約)。
□ドイツ、欧州中央銀行BCEの要請が発端。ドイツのアンジェラ・メルケル首相は財政危機に陥っている国々への支援の条件として、予算コントロールに関する新たな措置の導入を主張し、また、マリオ・ドラギ欧州中央銀行総裁は2011年末に新たな財政条約を締結することを呼びかけた。
各国の予算編成に対しもっとも強い強制力を有する枠組みは、単一通貨圏が創設された1997年発効の「安定・成長協定(le pacte de stabilité et de croissance)」である。
その基準は
①財政赤字déficits publicsがGDPの3%以内であること
②負債総額endettementがGDPの60%以内であること。
この条約は2005年に独仏のイニシアティブで一旦緩和されたが、昨2011年にはドイツの要請で財政赤字に係る制裁が強化された。
同時に、「欧州セメスターsemestre européen」と呼ばれるプロセスが導入された。これは事前に予算編成方針や経済政策について加盟国間で協調を図ることを狙いとするもので、各国は予算法案を10月15日までに提出し、欧州委員会は各国に対し予算の議決前に意見を述べることとされている。
■今回導入される通称「黄金律la règle d’or」とはどのようなものか?
□今回批准しようとしている財政条約の第3条には「各国においては、構造的赤字(déficit structurel =経済循環による影響を差し引いた赤字)がGDPの0.5%を超えてはならない」と規定されており、これが「黄金律la règle d’or」と呼ばれているものである。遅くとも条約発効から1年後までに、各国において法律上の措置を講ずることにより、この黄金律が適用されるべきものとされている。
なお、ここで言う法律上の措置としては、通常の法律を超えるような強い拘束力を有する恒久措置(できれば憲法上に規定することが望ましい)が想定されており、予算編成過程を通じて各国には当該基準が厳格に適用されることになる。
フランスでは、前右派政権は、年度を超えた財政の諸原則について憲法上明記する方向で検討を進めていたが、社会党の現オランド大統領は慎重姿勢をとり、憲法改正の必要性について憲法評議会に諮問した結果、同評議会からは、「今般の条約は憲法に抵触するものではなく、通常の組織法律loi organiqueに、条約の求める財政規律の監視手続きを定めれば(憲法を改正しなくても)足りる」との見解が示されている。
■財政に関する国家の主権喪失にはならないか?
□本年(2012年)8月9日、憲法評議会は、今般の財政条約の規定は、EU加盟国の経済政策の調整を強化するに過ぎず、経済や予算に関する権限を各国から奪う性質のものではない、新ルールも従前のルールを超えるものではなく各国の主権行使の不可欠の条件を侵害するものではない、とした。
ただし、通常法に優位する「組織法」に財政の均衡規律が書き込まれる以上、財政政策への国民の代表たる国会の関与の余地を狭めるのでないか、との議論はあり得るだろう。
■新ルールは国民経済に厳しい結果を及ぼすのでは?
□財政条約反対派は、この条約の経済抑圧効果ひいては社会の荒廃といった懸念を挙げている。EELV(欧州環境・緑の党)や極左政党が反対している主たる理由もそこにある。
しかし、各国には、深刻な景気後退期には基準を超えた財政出動が認められるなど、一定の柔軟性は留保されている。また、債務残高がGDPの60%を大幅に下回る場合には、今回新たに導入される「構造赤字」の上限値である0.5%は1%まで引き上げられるといった措置も用意されている。
なお、オランド大統領も大統領選の過程で、緊縮一色の財政運営よりも財政出動による成長をと訴え、当時のサルコジ大統領が署名したこの財政条約の再交渉をちらつかせたことは記憶に新しいところであるが、最終的にオランドは「成長・雇用のための協定pacte européen pour la croissance et l’emploi」を勝ち取ることにより矛を収めている(2012年6月欧州理事会採択)。
この協定は3年間で約1200億ユーロ(欧州連合の年間予算を上回る規模)に上る投資財源を用意しようとするものであるが、その内訳は、①非富裕州向けの構造基金(約550億ユーロ)、②欧州投資銀行BEIの融資(BEIの100億ユーロの増資による)(約600億ユーロ)、③プロジェクト債(約50億ユーロ) となっている。このうち③のみが純粋に新規施策であり、目下BEIが対象事業の選定作業を進めている。
■条約違反の制裁の内容は?
□上にも述べた通り、2011年にはドイツの要請により、安定・成長協定における、財政赤字が基準を超えた場合の制裁が強化され、ユーロ圏各国が違反をすればほぼ自動的に発動されることとされた(過去の規定では制裁発動事例は無かった)。財政赤字の超過の場合、最大GDPの0.5%の制裁金が理事会Conseilにより課せられることになる。
また、財政条約を批准したものの、その規定を各国の法律に反映させない場合、欧州裁判所la Cour de justice européenneが最大GDPの0.1%の制裁金を課することができるとされている。
■フランス及び欧州の批准手続きの見通しは?
□現時点では当該条約に署名した25か国のうち13か国が批准済み。うち9か国がユーロ圏である。ユーロ圏17か国のうち12か国以上の批准が、2013年1月1日に条約が発効するための条件となっている。
そのうち、ドイツ、スペイン、イタリアでは批准手続きはほぼ完了。ドイツとスペインは憲法上に黄金律に近い内容を追加、イタリアも同様に憲法上の措置を予定しているが決着には至っていない。
他方、フランス、デンマーク、オーストリア、アイルランドは憲法上の規定の追加は行わない方針。アイルランドでは5月31日に国民投票に付され、批准が欧州基金からの支援を受けられる条件とされていることが後押しとなり賛成多数との結果になった。
フランスの政治日程を見ると、「財政条約批准法案」、「財政の方針・統制に係る組織法案le projet de loi organique relatif à la programmation et à la gouvernance des finances publiques」、及び「成長・雇用のための協定」の3本がセットで、去る2012年9月19日の閣議に提出された。10月2日からは国会での論戦が始まる予定であるが、それに先立ち首相から「新欧州展望」なる演説(宣言)が行われる予定。なお、この宣言文が議決対象とされるかは流動的な状況。3法案は国民議会議員、上院の議決を経て成立するが、そのうち組織法律については義務的に憲法評議会の審査へと回付されることになる。
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ところで、去る9月19日の閣議に関連して、反対派を抱えた内閣における閣議とはどういうものか、簡単に補足しておきたい。
結論から言えば、フランスでは政府提出法案の提出権は首相に属しており、国会提出前に閣議へ提出すること自体は義務付けられているものの、我が国におけるような閣僚の全会一致による閣議決定までは求められていない。
そのため、一部の閣僚が法案に反対であったとしても法案提出には支障を来さないとされる。(下記の仏憲法第39条抜粋を参照。ここで閣議での「議論」とは文字通り議論をすれば良く、採決のような手続きもない。実際には所管大臣が法案を紹介し、首相が国会に提出することになる。日本の内閣法制局に当たるコンセイユ・デタは、「閣議での議論は、法的効果を持たない単なる宣言に過ぎない」としている。ただし、当該法案に関係する大臣の署名は求められる場合がある。今回のEELVの住宅大臣等は今回の条約については所掌関係にないので、その点でも法的には問題とならない。)
ただし、政治的な影響となれば話は別である。冒頭にも触れたEELV(欧州環境・緑の党)連合理事会が9月22日に批准法案への反対を正式決定し、所属国会議員へも同様の行動を取ることを求めるとしたことから、政府は対応に追われた。首相府は直ちに2閣僚の離脱を否定。その後、EELVのデュフロ大臣は、大臣職も党も辞任しないことをマスコミに言明(ただし、法案への賛否については回答せず)、カンファン担当大臣も政府に残る意向を表明した。しかし、野党UMPや(異例のこととされるが)ルモンド紙(9月25日)は2閣僚の辞任要求を強めている。
Article 39 L'initiative des lois appartient concurremment au Premier Ministre et aux membres du Parlement.(法案提出権は首相と国会議員に属する。)
Les projets de loi sont délibérés en Conseil des Ministres après avis du Conseil d'État et déposés sur le bureau de l'une des deux assemblées. Les projets de loi de finances et de loi de financement de la sécurité sociale sont soumis en premier lieu à l'Assemblée nationale. Sans préjudice du premier alinéa de l'article 44, les projets de loi ayant pour principal objet l'organisation des collectivités territoriales sont soumis en premier lieu au Sénat. (…)(法案はコンセイユ・デタを経て閣議で議論され、国会のどちらか一院の事務局に提出される。予算法案・社会保障財源法案はまず国民議会に、主に地方公共団体の組織に係る法案は上院に先に提出される。)(後略)
(パリ事務所長 黒瀬敏文)