日仏姉妹灯台の誕生~観音埼灯台とミリエ灯台が新たな日仏の未来を照らす~ ―海上保安庁
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2025年11月15日、観音埼(Kannonsaki)灯台(神奈川県横須賀市)とミリエ灯台(ブルターニュ州フィニステール県)との姉妹灯台提携に関する協力覚書の署名式を実施しました。同式は、横須賀市ご協力のもと、同市主催の「ヴェルニー・小栗祭式典」の開催後に実施したもので、協力覚書には、海上保安庁、神奈川県横須賀市、公益社団法人燈光会、フランス海洋・漁業担当省海事・漁業・水産総局(DGAMPA)、ブゼック=カップ=シザン市(ミリエ灯台所在)、ブレスト市(横須賀市の姉妹都市)、ミリエ灯台協会の計7機関が署名し、「日仏姉妹灯台」が誕生しました。
観音埼灯台は、日本で最初に建設された西洋式灯台で、1868年11月1日にフランス人技師の指導のもとで建設が始まり1869年2月11日(旧暦明治2年1月1日)に初点灯しました。その後、関東大震災等で被災し、現在の灯台は3代目となります。ミリエ灯台は、ブゼック=カップ=シザン市にあるミリエ岬に位置し、フランス人技師アレル・ドゥ・ラ・ノエによって設計され、1881 年3月に初点灯しました。
今回の姉妹灯台提携は、両灯台のいくつかの歴史的な共通点と、1人の日本人画家をきっかけとして実現しました。
まず、共通点の1つ目として、フランス由来のフレネルレンズを使用している点です。フレネルレンズは、灯台の光を遠方まで届ける仕組みとして19世紀にフランスの物理学者オーギュスタン・ジャン・フレネルによって設計された特殊なレンズで、薄く軽量でありながら、光を効率よく集め、遠くまで届けることができる技術です。
犬吠埼灯台の資料展示館に展示されている1等レンズ
2つ目は、その外観です。灯台は英語で「Lighthouse」と書きますが、古くから灯台守が灯台の灯りを守るため、灯台に住み込んで働いていました。観音埼灯台(初代)とミリエ灯台はともに家のような外観(ハウス型)の灯台で、かつて灯台守が住み込みで働いていたことが容易に想像されます。
初代観音崎灯台
3つ目は、ミリエ灯台の所在するブルターニュ州フィニステール県が、観音埼灯台の建設に携わったフランソワ・レオンス・ヴェルニー(江戸幕府の要請を受けて来日し、横須賀製鉄所や観音埼灯台などの建設を指導するなど、日本の近代化に大きく貢献した人物)及びフロラン兄弟にゆかりのある地域であることです。ヴェルニーは同県ブルスト市の海軍工廠にてキャリアをスタートしました。また同県カンペール市には、フロラン兄弟の墓があり、そこには日本の皇族から寄贈された「菊の御紋」と、旭日章授与に係る石碑が祀られています。

左:フロラン兄弟の墓 右:石碑
最後に、日本人灯台画家の武石尭氏(Monsieur Toru TAKEISHI)です。氏は、高校教師を定年退職した後、日本の灯台巡りを実施し、一通り回り終えた後、イギリス、フランス、アイルランドに遠征し、自転車を使って各地の灯台を訪れ、何百枚ものスケッチを描きました。このときに知り合ったフランスの方々が、氏の絵をフランスで展示したいと希望したことも、今回の提携のきっかけの1つです。氏は、本提携の趣旨に賛同し、ご厚意によりミリエ灯台の油絵を2枚制作・寄贈されました。1枚を観音埼灯台に、もう1枚をミリエ灯台に贈呈したことで、また1つ新たなつながりが増えました。

左:武石氏のスケッチブック、右:ミリエ灯台の下絵
署名式当日は、ヴェルニー公園(神奈川県横須賀市所在。ヴェルニーの功績を称え、その名を冠した。)において、瀬口良夫(せぐち よしお)海上保安庁長官をはじめ、上地克明(かみじ かつあき)横須賀市市長、久保成人(くぼ しげと)(公社)燈光会会長、ベアトリス・ル・フラペール・デュ・エレン駐日フランス大使、フォルチュネ・ペリカノ ブレスト市副市長、ディディエ・ギヨン フィニステール県県議会副議長、クリティーヌ コルネ ミリエ灯台協会会長など、日仏双方から多くの関係者が臨席しました。また、同式後には、絵画の贈呈式と関係者による観音埼灯台の見学を実施し、姉妹灯台としての取り組みが本格的に始まりました。
今後、両灯台は姉妹灯台として、灯台建設に関する歴史的背景や関係者の足跡を大切にしながら、資料の相互展示や灯台訪問、関係者同士の交流などを通じて、地域社会をつなぐ歴史的・文化的交流の深化を図っていきます。